電気計測器 ヒストリカル エピソード

第11話  オシロスコープの開発と進化
= トランジスタの誕生で様相一変した大型計測器 =

オシロスコープはこの後に紹介する記録計と共に、目に見えない電気波形を可視化する測定器として電気技術者なら学生時代の実験を含めて一度は必ず使用した経験をもつ最もポピュラーな計測器の一つである。 その原点は1897年、ドイツの科学者カール・ブラウン(Karl Ferdinand Braun 1850 - 1918)によって考案された陰極線管(CRT)、即ちブラウン管の利用から始められた。




カールブラウンとブラウン管

世界最初のオシロスコープ
511シリーズ(511A)

当初は従来の電磁オシログラフなどと同様、過渡現象の捕捉を主体にごく限られた用途に使用されていたもの(ブラウン管オシログラフ)だが、1947年、創業まもないアメリカのベンチャー企業、テクトロニクス社(オレゴン州)から5インチブラウン管を使用した本格的な計測用オシロスコープ 511が開発されるや、一挙に汎用計測器の中心製品に踊り出た。

Model 511は縦軸に入力アンプ、横軸にタイムスイーパを持つ現在のオシロスコープにほぼ類似したもので、第1号機は地元のメディカル大学に納入された。そこでその有用性が認められた511は、その後、HP、RCA、WH、AT&Tといったエレクトロニクスの先端企業から次々と注文が殺到、受注から納入までの納期が1年以上もかかることが普通の状態だったという。


この伝説の名器を生み出したテクトロニクス社は、第二次世界大戦の終了直後、1945年12月に米国ポートランドに基地をおく沿岸警備隊の退役技師、Melvin Jack Murdock、 Glenn Leland、 Miles Tipperyの3人の仲間と、Murdockの友人 Charles H. Vollumを加えた4人のサービス・エンジニヤによって設立された。 現在ではメインのオシロスコープを始め、ロジック・アナライザ、シグナル・ジェネレータなど高周波測定器を中心に世界各国に拠点をもつグローバル企業として名が通っている。


1950 年代に入るや、オシロスコープはその有用性が認められ、さらに時期を同じくして始まったテレビの商業放送やデータ通信など、エレクトロニクス産業の急速な発展により、市場規模が一挙に拡大、HPや RCAといった大手の計測器がこぞって新製品を開発し、生産を開始した。当時の計測器工場には生産ラインや倉庫にオシロスコープが溢れかえっていたという。


1960年当時のHP オシロスコープ生産風景と初期の代表的製品(右)

オシロスコープの用途が広がるにつれて、従来では捕捉不可能と思われていた高速現象や、より高い周波数の観測が可能となったが、この時期のエレクトロニクス産業の変化は極めてダイナミックで一日たりとも眠ることはなかった。 当然、マザーツールとしてのオシロスコープに対するユーザー要求は厳しく、各メーカーでは開発能力の強化、生産体制のインフラ整備などが急ピッチで進められた。 さらに、電子部品の進歩やブラウン管そのものの材料的改善など外部要因にも助けられた結果、高周波領域でも安定して信号を捕捉できるようになり、エレクトロニクス機器の研究開発、生産に大きく貢献することとなった。
 

重量の重いオシロを移動させるための台車
(1960 - 1970年代にかけてよく見られた風景)

1960年代後半にさしかかると、オシロスコープの性能は更に向上し、操作性も改善されてきたため、研究開発部門の必携ツールとして急速に普及していったが、一方で、この便利なツールを何とか作業現場に持ち込めないかという要望も強く出始めてきた。

それまでのオシロスコープはその回路構成の複雑さ、使用部品の高密度性等から重量が数十キロにも及び、さらに電源の問題もあって、車載用やサービスツールとしては不向きと考えられていたのである。

これを一変させたのがトランジスタの出現だ。

1947年、米国ベル研究所の ショックレー(William B. Shockley 1910 - 1989)、ブラッテン(Walter H. Brattain 1902 - 1987)、バーディーン(John Bardeen 1908 - 1991)の3人はゲルマニウム結晶体の実験途中、一定量の不純物を混入させると結晶内部に真空管と同様な整流、増幅、発振現象が起こることを偶然発見した。 1947年も間もなく終わりを告げようとする12月16日の未明のことだった。

3人はさらに研究を続け、翌年6月ブラッテンとバーディーンの名前で「点接触型トランジスタ」、そしてショックレーの名前で「接合型トランジスタ」がそれぞれ特許申請された。 同時にベル研究所はこの2件の発明を公表したが、世間ではあまり大きな発明とは評価されず、ニューヨーク・タイムズも2面の小さな記事として扱ったにすぎなかった。


トランジスタの紹介を特集掲載した
エレクトロニクス誌(1948年9月号)
最初のトランジスタ
(複製品)

しかし、専門家の評価は違っていた。

技術専門誌「エレクトロニクス」はいち早くその将来性に着目し、早速9月に特集号を組んで、「そのユニークな性質ゆえ、将来のエレクトロニクス技術に計り知れない影響を与える運命にある」、と絶賛した。


因みにトランジスタの名称は「変化する抵抗(varistor)で信号を変換(transfer)する」という意味から、この二つを合成しTransistorと命名された。

各計測器メーカーもこの新しい素子の有用性に着目、当時すでに実用化の段階にあったダイオードなど他の半導体素子と組み合わせ、数十キロあったオシロスコープを1/2から1/3に小型化し、消費電力も大幅に低減されたため、従来では不可能とされていた車載や作業現場への持ち込みなどが可能になるなど、より一層幅広い計測分野で活用されるようになった。

最新のハンドヘルド型スコープ
(2009年フルーク製)

一方、我国におけるオシロスコープの歴史は1951年、横河電機が実用化に成功、続いて岩崎通信機(現岩通計測)も1954年、国内初となるトリガー式オシロスコープ(帯域5MHz)SS‐751で追随した。 これは掃引回路を入力信号に同期させてトリガーをかける画期的なもので、同社ではこれを「シンクロスコープ」と命名し内外に発表した。

その後、同社では1956年に10MHz、1957年に30MHz、1961年に100MHzと年を追うごとに帯域を拡大し、遂に1968年、世界初となるオール・トランジスタ化された200MHzのシンクロスコープを完成させた。 これは同社が名実ともに国内ナンバーワンであることを証明するとともに、それまで長く続いたアメリカ優位のオシロスコープ製品において、ようやく日本製品が世 界レベルまで追い付いたことを示す大きな一歩でもあった。


国産初のシンクロスコープ
SS-751(1972年 岩崎通信)

続いて1970年代、世界水準に追いついた国産オシロスコープ産業は、欧米メーカーとの熾烈な開発競争を展開、技術革新は勿論、生産額、消費額の面において世界でも有数の市場に発展してきた。

1990年代に入ると、その技術的進化はアナログ式からデジタル式へ、直視式からサンプリング式へと進み、DSOと呼ばれるディジタル・ストレージ・オシロスコープが主流を占めるに至ってきた。

そして世紀が変わった2000年、オシロスコープは更なる進化を遂げることとなった。

MSO (Mixed Signal Oscilloscope)の登場である。 MSOとはアナログ/デジタル両者の特長を生かしたハイブリッドタイプのテストツールで、スコープの有用性がますます高まったと同時に、製造メーカーにとっては新たな技術競争の始まりとなった。

1960-1970年代の主要各社のオシロスコープ
最新のMSO

(2011/6/1掲載)
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