電気計測器 ヒストリカル エピソード

第9話  ラジオ、テレビの普及を支えた
         オシレータ、シグナル・ジェネレータ
= 世界最大の計測器メーカー HP社(現アジレントテクノロジー)の原点にせまる =

汎用計測器としての発振器の歴史は、当初コールラウシュ・ブリッジやインピーダンス・ブリッジなどいわゆる交流ブリッジの電源として、1930年代に開発された1000Hz前後の可聴周波信号源がそのルーツと考えられる。 心臓部である発振源には音叉や水晶振動子が使用され、ある程度の安定した周波数と出力レベルが得られた。


HP社創業のガレージ (1938年)

同 (2005年修復後)

シリコンバレー誕生記念プレート

しかしこれはあくまでもブリッジという主役を引き立てる補助器具的なものであって、独立した計測器としてそれ自体を単独で使用するにはかなり無理があった。この点を改良し、より汎用性の高い可変周波数発振器として実用化したのが、1938年、創業まもない米国のヒューレット・パッカード社(現 アジレント・テクノロジー社 )で、HP200Aと呼ばれるR-C型音声周波発振器である。 このHP200Aは創業者の一人、ビル・ヒューレット (Bill Hewlett 1913 - 2001 ) の大学時代の研究成果を製品化したものと言われており、その後200B、200Cと進化を遂げ、長い間同社の看板製品として生産された。

とくに200Bは、当時人気の高かったディズニー映画「ファンタシア」の音響システム制作に使用されたことでも知られている。

今日、世界最大の計測器メーカとして業界をリードしているアジレント・テクノロジー社 も創業当時は自家用自動車が一台入るだけの小さなガレージで、ビルとスタンフォード大学時代の同窓生であるデーブ・パッカード(David Packard 1912 - 1996 )、二人の若者によって、僅か538ドルを元手にスターした。

同社の史料によると、社名となったHPはビルとデーブがコインを投げてどちらの名前を先にするか決めたという。 現在このガレージは米国カリフォルニア州の歴史建造物に指定され、シリコンバレー誕生の地として記念のプレートが設置されている。


初期のR‐C発振器(左からHP200A、200C、200AB)

一方、我国における本格的な発振器の歴史は、1940年代後半、当時の電電公社(現NTT)が戦後復興の大きな目玉として取組んだ電話網の回復、拡充策が大きなきっかけとなった。 即ち、通信回線網の試験用として必須であった音声周波や搬送周波帯発振器、アッテネータ、レベルメータ など数種の計測器を鉄製の架体に組み込んだ「測定架 (Instruments Rack)」と呼ばれる総合試験装置の開発で、その中心を占めたのが200Hzから数MHzの帯域をカバーするR-C発振器であった。

その後、中波や短波放送が普及した1950年代に入るとラジオ受信機の生産やサービス用としてテスト・オシレータ(Test-oscillator)が登場、さらに1960年代以降、テレビ放送の開始にともなって放送・伝送機器の特性試験およびメンテナンスツールとしてパターン・ジェネレータ、電界強度測定器、周波数シンセサイザ、ファンクション・ジェネレータなどが各種の計測器が開発され、発振器から信号発生器(シグナル・ジェネレータ)へと進化の歴史を刻んでいった。

その1960年代の我国計測器業界のトピックスと言えば横河電機とHP社の合弁会社、Y-hp社の設立であろう。 当時、高周波測定器については米国製品に比べてかなり技術的に遅れをとっていた我国も、Y-hp社の創業によって短期間のうちに先進諸国に肩を並べることとなった。

1950-60年代の無線周波測定器
 (左:R-C発振器 アンリツ製、中:電界強度計 アンリツ製、右:パターン・ジェネレータ リーダー電子製)

計測器業界のエポックメーキングとなったY-hp社の設立と
同社初期の電子電圧計
(Y-hpは1963年の創業以降、
日本の電子計測器業界のリーダー的役割を担う)

(2011/6/1掲載)
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