電気計測器 ヒストリカル エピソード

第2話  メンロパークの魔術師 エジソンと電気の実用化
= 明治維新と我国初の街路灯の設置 =

明治維新とともに始まった我国の電気事業、それは1878年(明治11年)3月25日、東京虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)ホールで行われた「アーク灯」の試験点灯から始まった。

当時、わが国の産業発展のため工部大学校に招聘されていたイギリス人教授エーアトン( 物理学者 William Edward Ayrton 1847-1908 )の指導により50個のアーク灯が点灯されたときである。 その4年後の1882(明治15)年11月1日、電気によるわが国初の街路灯が銀座に設置され、アメリカ製の発電機を使った二千燭光(100Wの白熱灯20個分の明るさに相当)のアーク灯が点灯した。


それまで行灯やろうそくの明かりしか知らない人々は昼をも凌ぐその明るさに歓声をあげ、銀座には多くの見物人が押しかけたという。 その時の様子を表した記念プレート(右写真)が現在の銀座2丁目、カルチェの壁面に埋め込まれており、プレート下部には「明治15年11月、ここに始めてアーク灯をつけ不夜城を現出した 当時の錦絵を彫刻してその記念とする」の一文が刻まれている電気がそれまでの生活を一変させ、我国における本格的電気事業が産声をあげた瞬間である。 因みに、試験点灯が行われた記念すべき3月25日は、1927年(昭和2年)日本電気協会によって「電気記念日」として制定、先駆者の偉業を称えるとともに、今後の新たな発展を誓う日として今日まで引き継がれている。


アーク灯による始めての街路灯(東京・銀座)
当時の錦絵と銀座2丁目カルチェの壁面に設置されている記念銘版

一方、世界的な視点でみると、この時代(1879年)既に米国の発明王エジソンは白熱電灯の実用化に成功、世界中から喝采を浴びていた。

トーマス・エジソン(1847-1931)と
エジソン発明の白熱電球レプリカ

トーマス・エジソン(Thomas Alba Edison 1847‐1931)はオハイオ州ミラノで生まれ、電球、映画、蓄音機など生涯に3,000以上の発明をなしたと言われている。

とくに白熱電球のフィラメントに京都の竹(繊維)を用いたことで日本のなかでもよく知られているが、実は京都(小山)に辿り付くまでには、世界各地で6,000種以上の材料が収穫され、試験されたと言われている。 当時の交通事情や世界情勢を考えると、気の遠くなる根気と努力が必要だったに違いない。 幼い頃のエジソンは好奇心が強く、両親や近所の大人をつかまえては「なぜ」、「なに」、「どこ」と質問を浴びせ、成長してからも自分で納得するまで何百回、何千回の実験を繰り返したと言われている。 この辺りは彼より数十年以前に大成し、19世紀最大の功労者と称せられる同じ実験科学者のマイケル・ファラデー(本編第5話 参照)の影響が大きかったのではないだろうか。

「天才は1%の才能と99%の努力から生まれる」と語ったエジソン、まさに努力の発明王に相応しい言葉である。


メンロパーク研究所(1876年 ニュージャージ州メンロパークに設立されたエジソン研究所)と実験中の
エジソン(新しい発明を次々に発表したエジソンは、後にメンロパークの魔術師と呼ばれるようになる)

このエジソン、実は京都のあるお寺に祀られていることをご存知だろうか。
それは景勝地嵐山、渡月橋の近くに十三まいりで名高い虚空蔵法輪寺。 その境内に一山の鎮守社として電電宮が奉祀されており、電気関係者の霊を顕彰する電電塔が建てられている. その後方壁面に電磁波の研究で大きな功績があり、37才という若さでガンに倒れたドイツの科学者 ハインリッヒ・ヘルツ(Heinrich Hertz 1857 ? 1894)とともにレリーフが掲げられている。

電電宮は電気・電波の祖神として現在でも関係者から信仰され、新形の電気製品や電気自動車の安全祈願などに一役買っている。 筆者も2011年、ある関係する計測器メーカーの新製品祈願に訪れ、合わせて電気事故の撲滅を祈願した。


法輪寺境内の電電宮と電電塔のレリーフ(左;ヘルツ、右;エジソン)

(2011/6/1掲載)
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